自己紹介

初めまして。「ムー」です。

関西在住の40代半ばのサラリーマンです。

私のことを知っていただく為、自己紹介させていだきます。

少し長くなりますが、お付き合い下さい。

 

ざっくり

  • 職業 ネットワークエンジニア+管理職
  • 年齢 40代半ば
  • 長所 粘り強い
  • 短所 承認欲求が激しい…
  • 趣味 ランニング、ゲーム、買い物

詳細

システムの受託開発をしている会社に勤めています。

勉強が大嫌いで、思い切り文系出身の私でした。

大きな目標もなく、ただの憧れだけでIT企業に就職することになります。

 

振り返ると当時は就職氷河期でした。

明確な目標もなく、何となく、かっこいい、憧れだけでIT業界を目指しました。

当時の状況は厳しかったですが、未経験採用してくれるIT関連の会社は必ずあると信じて、片っ端から応募しました。

 

不採用が続いたのは言い訳すると「不況」だったから。

実際は「スキル」がなかったことが本当のところだと思います。

 

記憶は曖昧ですが20社以上は応募したかな。。その中で東京のシステム会社が採用してくれました。25歳に初めてエンジニアとして就職!!ここから私の社会人生活がスタートしました。、

 

当時の職種はプログラマーでした。

キーボードもまともに打つことができなかった私は、新人研修には全くついていけず。。。

 

上司にどなられ「馬鹿かてめぇ!!」と客先で怒鳴られる毎日でした。

関東弁で「馬鹿か」は関西人にはキツイ。

毎日毎日、会社に行くのが本当に辛かったです。

 

今思うと努力が不足してたと思います。

必要な知識を身に付けるために、書籍を購入したりそれなりにインプットはしてたと思いますが、アウトプットはほとんどしてませんでした。知識の定着がしっかりできず結果も出ませんでした。当日MUPのようなものがあれば、もっと違った人生になっていたかも知れません。

 

あまりにプログラムの仕事ができなかった私は、会社で待機するのは給料泥棒だ。全国の役所を回り、小さなネットワークを構築するお仕事に行ってこい!という流れでネットワークが何かも知らないまま全国を回ることになりました。

 

これがきっかけで、今の職種「ネットワークエンジニア」の道を歩むことになります。

2年後、辛い東京の日々から逃げるように大阪に戻り

ネットワークエンジニアとしての道が少しづつ開かれる事になりました。

 

関西に戻りいくつかの会社を経験し、今の会社に所属するに至ります。

29歳からは38歳まではめちゃめちゃ働きました。

ハードな仕事にもとてもやりがいを感じていました。

35歳過ぎから責任あるポジションを任され、次第に病んでいくようになりました、

また、機会があればお話します。

38歳で精神的にヤラれてしまい、2カ月間休職します。

誰もがあいつはもう終わった。辞める。

と思ってましたが、まさかの復帰を遂げることになります。ただ、この頃もまだ精神的には不安定でした。大きなプロジェクトの途中で置いてきた部下とともに、納品まで頑張りました。

 

今では古株となり、エンジニア兼務で管理職をしています。

管理職はとってもストレスが溜まりますが、自分も部下も楽しく働けるよう、まだまだ学び続けようと思います。

 

このブログは私がMUPウサギクラスで学んだことをアウトプットする場にしようと思い始めました。

それと別に今まで経験したことを、誰かに伝えられたらいいなと思ってます。

 

このブログが必要な方に届きますように。